02 AMERICA
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02 AMERICA
2000

4年生大学の卒業を5月に終え、一時帰国をし、9月に新たな大学で、院生生活を始める。ニューヘイブンに移った私は、まず、仕送りが止まったことから、日本食レストランでバイトを始め、モービル石油のガソリンスタンドで、大学の費用を後押ししてくれる制度があり、そこでも働き始め、大学では、アシスタントシップとして、伴奏の仕事を始めたのです。

毎日がバイトと勉強とで週末も返上。遊びにもいけず、買い物もせず。ピアノの練習は、近くの大学に入り込み、アップライトで練習。

そこの教授が、たまたまハートフォード大学出身だったので、知り合ってからは、堂々と練習が出来ましたが、最初の頃は、夜遅くに、ここでもセキュリティーによく捕まり、ここの大学の者ですと言うと、学生証をみせろと・・!! 今日も忘れた・・とかいって、免れていました。

レストランは週2日。ガソリンスタンドは週4日。学校は週3日。伴奏の仕事は毎週初見をさせられる、声楽のスタジオへ・・今思えば、よくやったなと思います。あの頃私も若かった・・・(笑)

2001


この一年は、働きっぱなしです。アメリカのガソリンスタンドで働くっちゅーのも勇気のいることで、強盗に入られたなんて よく聞く話。同じ職場の人でも、銃を頭に突きつけられた人は少なくて2人はいる。学校に行かなければならないこともあって、 夜のシフトしか働けなかった私に、マネージャーは、女の子が夜のシフトで働くなんて、ここ2,3年見たことがないと言われ、 最初は反対されたんですが、 私は、どうしてもと無理を言って夜のシフトを取ったんです。

働いてみて、本当に、変な人によく会いました。ビニール袋をさげて、トイレで着替える おっちゃんとか、入ってくるなり、「コーヒーあるか、おい!」って叫びだす人や、薬でへろへろになった高校生くらいの男の子が、 「俺、大丈夫よ。今日ちょっと吸いすぎちゃって。」なんて言いながら、チップス食べて一人笑ってたり・・・

大便我慢できなくて、 ズボンの裾からブツが転がり落ちていた人もいました・・(ひぇー)。 

ここで働いて、アメリカ社会の内側を見ました。本当に。

コーヒーのカップを自分で探そうとせずに、入ってくるなり「カップはどこだ」「ふたはどこだ」「ミルクはどこだ」って連呼する人。  砂糖の袋とか、破った後、捨てないでテーブルに放って置く人・・(結構身なりのいい人が多くする。)税金がつくことにどうしようもない文句を付ける人。

ガソリンを入れる前にお金を払うのですが、100ドル札しか持ってない からって、私を信用しないで渡さない婦人・・・(婦人いわく、私が彼女を信用していないからだとか・・ 先払いが決まりだといえば、 20ドル紙幣にまず目の前で両替してくれと言う。・・・ガソリンが欲しいのはあんたなんでしょ・・ってかんじだけど)・・

全く、アメリカ人は ・・・って言いたいけれど、中には、夜働くことに気を使ってくれる人も居、カジノで儲けたからあんたに少しやるよ、といって、お金をくれた 太っ腹なおっちゃんもいたし、前の人が汚したテーブルを無言で綺麗にしてくれた、とさか頭のヤンキーもいました。

日本でバイトをしたことがなかった私には、こういう風に人に関わることが、日本ではどうなのかよくわからないのですが、 アメリカでも、いろんな人がいたのだ・・と実感させられました。

差別の問題(人種に対してと、職種に対して)も複雑に絡み合っているのだと 思いますが、こうやってアメリカの内情を見ることができる所って、他にないだろうなぁと防弾ガラスの中でぼんやり考えてみたりして。

2002

普通入ってから、1年後にリサイタルをしなければならないのですが、院に入って、自分のピアノへの勉強の足りなさに気づき、もう一年延ばすことにしました。そして、この年の5月、やっと心とテクニックの準備が出来る。曲は、バッハの平均律2番からC#major、ベートーベンのOp.109、ブラームスのOp.119、そしてスクリャービンのソナタファンタシー(No.2)。 

スクリャービンは初めて取り組んだのですが、ショパンに影響を受けただけあり、綺麗な旋律を即興的に変えたラインなんかが、美しかったです。このファンタシーから、もうショパン的と言われる要素は薄くなっているのですが、後の彼のソナタたちは、彼独特の世界観と美観に満ち溢れていて、いつか弾いてみたいと思わせる魅力のあるものです。

そして、本番。今回は演奏時に「没頭」という状況に入ることに成功!その、没頭する瞬間・・というか没頭している時間というのは、なんというか夢を見ている感じで、脳のイメージが手に伝わって、音として放出していく快感を体験。リサイタルがこんなに楽しいものだと思ったのは、これが始めて。

小さい頃にやったコンペティシォン、コンクールや教室の合同リサイタルで弾くときは、いつも緊張しているか、頭は指先のことだけを考えているかのどちらかで、大学に居たときも、それは変わらなかったのだと思います。それが、ここの大学院のピアノの先生に会って、がらりと私の演奏スタイルを変えてくれました。

心を込めることの楽しさというか、曲と一体になることの快感。 それは、必ず聞き手にも伝わるものです。 そして、その伝わったものに聞き手が「私」を感じられるか・・ということが次の課題になるのだと思いました・・ 私は、歩みは遅くとも、少しづつ開いてくるピアノ・・音楽の世界に再度魅了されていきました。

 
2003

この年、もう一つ最後のリサイタルを終える。卒業を5月に迎え、じわじわと将来の不安が現実になってきました。まずレジュメに手を付けていない。(遅すぎっ)いろいろ参考雑誌は買ったのだけれども、誤字脱字はもちろんだめ。カバーレターと言う自己紹介の手紙も付けるのが、こっちで常識で、しかも、要約した自己紹介にアピールポイントをいくつか入れ、就職志願する先々で中身を替えなければならない。そんな風な参考書の注意書きを読むと、こっちもうんざりしちゃって、うつ。

私はピアノ講師のポジシションを探していたのですが、伴奏者としてのレジュメも作って範囲を広げないと、コネチカットでは仕事に就けなさそう。更に、就職活動が遅かったことも輪をかけて、私自身、就職に乗り気じゃなかったのもあり・・・

本当に就職するってことに自信がなかったんです。子供は何人か教えてきたけれど、学校に入って教えるということに半分びびっていた・・というか、なんだろう・・私が教えちゃっていいの??みたいなかんじ。 自信なくても飛び込んでいけばなんとかなるよ・・っていうのですが、躊躇してしまって、それが面接とかでも出ちゃったり。教えることに私は向いてないのかしら・・・と始める前から思っちゃって、悩みました。 でも、レジュメも他の人のように、100通も出したわけではないので、頑張っていない・・ともいえますが、その前に、頑張ろうとする要素が足りなくて、しおれてた・・というかんじです。

とりあえず、大学で教授のアシスタントとして、大学生にピアノを教えたりしてましたが、レッスンがある度に、あ〜ん・・こんな方法でいいのかしら・・なんてふらふらと悩んでました。


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