|
01PROFILE 02AMERICA 03DIARY 04PHOTO 05PIANO 06ABOUTISLAM 07GUESTBOOK 08LINK | |
02 AMERICA | |
|
1996 札幌の高校にいたとき、某進学高校にいたせいで、周りの友達はみんなセンター試験に向けて猛勉強。 その中で、ひとりTOEFLやってた私がいました。 英語が2だった私が、TOEFLしてたって変な話だったんですが、受験勉強も大変そうだったし、留学して目立ちたかったっていう気持ちもあったんじゃあないかなって、今思うこともあります。 一応の目的は、音楽と総合勉強を一緒にするということで、日本の音楽大学よりも、アメリカに行って音楽しながら英語も勉強して、音楽大学ではないところでほかの分野も勉強したい・・という欲張ったものでした。 日本のエージェントを通して、東京で3週間の英語研修を受けて出発。 研修で一緒だった人と共に、場所はコネチカット州の州立大学へと旅立ちました。 1997 このころになると、講義も受けやすくなり、教授の話もなんとか素直に耳に入るように。 それでもやっぱり、わからないところもあって、ときたま集中が飛んで、白昼夢を見ている状態になったりもしちゃうけど(笑) とりあえず、一年もいれば、だいたいのクラスの受け方も分かってきます。 大学ではクラスの最初に、そのクラスがこのセメスターに何をするかっていうスケジュールが、配られます。 その中には、何パーセントの割合で、個々の課題が成績に響くか、と言うことも書いてあり、何を最低限しなければいけないかということも分かります。 例えば、毎日の出席を成績の10パーセントに加える教授もいれば、毎日の意見交換の度合いを10パーセントに数える教授もいます。 毎日の出席はいいのですが、意見交換などが成績に響くと、私たち留学生は大変!全員英語が母国語の人たちの中で、英語の意見をしゃべるというのは、自殺行為みたいな心境です。 だから、日本人や、留学生同士のクラス情報は、欠かせません。 ここの教授は、簡単だよ〜とか、出席を重く見るクラスを取るとか、外人に辛抱強い教授を探すとか。 たいてい、ほとんどの教授は優しく、授業の終わりに聞き逃したことなどを聞きに行ったら、丁寧に教えてくれます。 学期末や、中間にある定期試験は、エッセイ形式のものがほとんどなので、文を書く力が必要です。 言いたいことが正解であっても、書いていることが通じないと分かってもらえないし。 友達で、答えを文ではなく、名詞の箇条書きにしていた人がいましたが、それもいい方法だと思います。 とりあえず答えてもらいたいことのキーワードがつづられているので、正解を知っているということでマルもらってました。 私が一番つらい思いをしたのは、なんといっても長いペーパー。 2,3枚ならいいんですけれど(よくないかも)、5,6枚になると、もう何を書いていいんだか・・日本語で書いてから英語に直す人も居ますが、私は日本語で書くのも面倒で、英語から。 そうすると結局行き止まってしまって、いつも締め切りぎりぎりに、アパートや図書館で必死になっていた覚えがあります。 最初は、ピリオドの後は2個スペースを空けるとか知らなくて、教授泣かせの読みにくいペーパーを出していましたが、音楽科のクラスで、面倒見のいい教授に会い、いろいろ基本を教えてもらいました。 でも、彼に会わなかったら、誰も文句言わず、無言でFとか付けられてたかも・・。こわい・・ |
1998 この夏、一時帰国はしないで、夏期講習で単位を取ることに。 アメリカの夏は暑い。 空気が乾いている上に、頭からお日様がさしてきて、アパートから歩いていくのもふらふらしちゃうくらいです。 そして構内に入ると、寒い。 冷房は冬の札幌並みの温度で、タンクトップで歩いてきたらば、クラス内では、ガタガタ震えちゃうほどで授業なんて聞いてられない。 みんな厚い上着を持って行ってました。 この時取っていたのが、詩のクラス。 教授はラテン系の30代くらいの女性でした。 たまにクラスの前で朗読してくれるんですが、朗読しながら、感極まって泣いてしまうという、詩人と言うよりは芸術家タイプの教授。 そんな訳で彼女がアサインした詩たちは、どれもこれも、素敵で、強くて、心に訴えるものがありました。 私が感動したものたちの一つは、Jayne Cortez の「I Am New York City」。 私はニューヨーク・・・って始まるんですが、ニューヨークを一人の女性として表現したもので、ニューヨークの混沌とした雰囲気が、その女性(ニューヨーク)自身の描写に力強く、生々しく映し出されているんです。 ほかに、Marjorie Agosin の「Streamers of Light] という作品も、大好きでした。 あなたが南方のフランスに来たならば・・と始まります。 南フランスの素朴な自然の描写と、多彩な色彩感覚に溢れていて、ゴッホの絵を思いおこさせる詩なんです。 そこに恋人への愛が重なり合って、視覚的な美と、感覚的な美が混ざり合った、それはそれは美しい詩でした。 詩は昔から好きだったんですが、自ら勉強しようとは思わなかったんで、このクラスで感受性の高い教授に出会い、詩を読み解くという方法を教えてもらったときに、詩への興味がだいぶ広まりました。 これも後に、作曲コースでボイス用への曲を書くときなんかにすごく役にたちました。 1999 卒業が近づき、大学卒業のシニア・リサイタルで、 違う時代からの曲を4つ弾く。曲目は、バッハのパルティータ3番、 ベートーベンのOp.101、ショパンのバラード4番に、ラベルの「クープラントの墓」。全部大曲なので、暗譜にもテクニックにも時間がかかり、大変でした。 もうそろそろリサイタル目前というときに、 地域の美術館でもリサイタルをしないか・・という話が。 もちろんいつものように、飛んで引き受け、(後でいつも後悔する・・)美術館デビュー(笑)。 観客を増やそうと、ピアノの先生と一緒に招待状を書きまくり、インドネシアンの友達にも来てもらうことに。 来てくださった 方々は、美術館への入場料を払うので、美術館へも貢献でき、そのリサイタルを終え、後に大学でのリサイタルも終え、やっとこさ一段落。 卒業認定! Click to continue |